自由と安定
過去の記事は基本的に振り返らないので、同じことを何度も書くかもしれない。
もともと「読む意味のないブログ」なので、そんなことは気にしない。
今思ったこと、考えていることをそのまま書く。
自由と考えていることは、本当に自由なのだろうか?
自由とは、「選択できること」であり、「選べる選択肢が多いほど自由である」と言える。
つまり、今日のランチを何にするか選べることは自由である。
今日着て行く服を選べることは自由である。
何時に起きて、何時に寝て、今日何をするかを選べることは自由である、と言える。
一方で、「安定」のためには「自由」を犠牲絵にしなければならない。
安定した給料を得るためには、同じ時間に起きて、同じ時間に会社に行き、自分の考えを押し殺して会社のために尽くす。
そう考えられていた。
今までは。
だが、これからは違う。
というか既に変わっていることに、一部の人は気付き始めている。
安定が安定でなくなっていることに。
社会のあちこちにほころびが生じている。
今こそ自由を追い求める必要があるのではないか。
自由でいることこそが、安定の原動力になる時代になっている。
気付いた人は行動を始めている。
まだ間に合う。
新しいことを始めよう。
常識にとらわれるのは止めよう。
やっちゃえ、日産(違